「学びの地図」というアイデア
軽井沢風越学園は、遊びが学びへとつながっていく、人間の自然な育ちを大切にしています。僕たちは講義中心の一斉授業、画一的なカリキュラム、固定的な学級編成など、従来型の学校教育に限界を感じている一方、子ども自身と公教育の可能性を信じ、開設時に自発的な探究の学びを大切にする「わたしをつくる時間」を設けました。ところがいざ始まってみると、その時間をどう過ごしていいのかわからない子どもたちが多く、そのかかわり方もスタッフ(先生の呼称)によってさまざまでした。そこで指針となるツールの必要性を感じ、思いついたのが「学びの地図」というアイデア。道しるべとなる地図があれば、その地図上を冒険するように進んで行ける、その旅の記録が学びの履歴にもなる、と思ったんです(岩瀬)。
従来とは違うカリキュラムゆえの迷い
ただ、それを学校関係者だけで考えても地図=スタンプラリーの発想から抜け出せず、自分たちとは違う感性でかたちにしないとワクワクするものにならないと感じていました。そこでFacebookに「学びの地図」のアイデアを投稿したところ、すぐに佐宗さんから「やりましょう」とコメントがあったんです。そこで、もしかして地図ができるかもしれないと思い、社会科担当の馬野と理科担当の井上らに「一緒にやってみないか」と声をかけました(岩瀬)。
風越学園では国語と算数以外の教科は、プロジェクトを通して学ぶかたちでスタートしたので、理科、社会の枠組みが曖昧で、それに戸惑う子どもたちが多くいました。実際、どうやって学んだらいいかわからない声も挙がっていて、何か必要だと思っていました(井上)。
「学びの地図」とアバターづくり
最初のワークショップで必要なのは子どもの成長をイメージしたアバターじゃないかという話題になって、以降のセッションではスタッフがそれぞれ思い描く「学びの地図」とアバターのスケッチを持ち寄り、それを見ながら話し合いました。佐宗さんからの「なぜそれつくるのか」という問いかけや、「どんなときに、誰と使っているのか」というユーザーシナリオを作成する過程も、普段と違う角度から思考を巡らせる時間で、すごくワクワクできました。そこで、“本当に自分たちでつくるしかない”という強い気持ちがもてました(馬野)。
開校に向けたカリキュラムづくりでは、スタッフ間が抽象論の戦いや信念対立で終わることが多かったのですが、今回のように頭の中にあることを具体に落としてやりとりすると、対立が起きにくくて、お互いの違いがよさとして際立ち、歩み寄ることができることに気づけたことは大きな収穫でした(岩瀬)。
プロトタイプとしての「学びの畑」
アイデアをスケッチしていくと、何が、なぜ必要なのかの解像度が上がっていくのがわかりました。そこで全体の地図づくりの前に、まずは一つひとつの学びの振り返りツールをプロトタイプしてみようと取り組んだのが「学びの畑」でした。これは日々の学びの過程で問いが生まれたときにスタッフがそれを記入するタネ(カード)を渡し、学んだことを子どもが実として振り返るのが狙いでしたが、実際の学びはタネを植えたら、花が咲いて、実を収穫できるといった単純なものではなく、それが逆にまったく起こらなかったんです(井上)。
風越学園は学校が目標を決めるのではなく、子どもたちがなりたい何かになっていく“「 」になる。”を目指しています。そのため、子どもたちの自主性に任せてタネをひたすら渡してみましたが、その先になかなか進めなかった。ツールだけに頼り過ぎたのかもしれません(馬野)。
目指す学びをスタッフ間で統合
このころは目立った成果が得られず苦しい時期でした。「学びの畑」では思ったような効果が期待できないとわかったものの、目指したい学びのかたちが見えず、何がツールとしてあればいいのかわからなくなっていた。それでも社会科と理科で地図のトライアル版をつくっていく過程で、それまではふわっとしたイメージだった探究の学びのカリキュラムを全部棚卸しして、まずはそれを試してみることにしました。その後、実際にトライアル版を使ったあとの振り返りの話し合いのなかで、あらためて風越学園としてどういう学びを目指すのかをスタッフ間で議論してみると、目指しているところが全員バラバラだった。でも、それがわかったおかげで共通の土台がつくれるところまで来たという感覚でした。本音でぶつかり合ううちに、みんな根っこの部分は同じだとわかって、「何のために地図をつくるのか」という論点に戻ることになった。そこで腹が据わったというか、どういう学びがいいのか揃ってきて、学びの地図は子どもたちと一緒に使う「コミュニケーションツール」だと定まったんです(岩瀬)。
地図はコミュニケーションを生むためのもの
従来型の学校だと、授業で話すことがレクチャーですが、風越学園ではそうじゃないところが難しい。でも地図を使ってコミュニケーションすることで、僕らとやりとりをしながら学びをつくるのは子どもたちというように、大人の役割が明確になっていきました。子どもに渡して勝手にやっていくものでないと、みんなで合意できたのも大きかったと思います(井上)。
それまでは、子どもたちは僕に相談しに来るより先に教科書を開いていたのですが、「わからなければ教えるよ」と声をかけるくらいでした。そんなとき自分の授業をやってしまおうと、週2時間必ず集合して、地図の中にあるどれかひとつを徹底的に扱うことを始めたんです。そしたら子どもたちの反応が思った以上によくて……。コミュニケーションツールという目的がはっきりしたことで、これをもとに子どもたちと接していけば、何か面白いことが起こるはずだと確信できた。すごく勇気づけられたというか、僕自身の地図にもなったんです(馬野)。
「学びの地図」を通して学校づくりの当事者に
そこから井上や馬野の熱量もグッと上がっていったし、プロジェクトをどう扱うかという言葉がすごく力強くなりました。2月から「コミュニケーションツール」という位置付けで本格的なブラッシュアップに取り掛かった「社会科の大地」「理科の山」の地図も、一気にかたちになったというイメージ。それぞれが自分の言葉でこういう学びをつくりたいと子どもたちに熱く語れるようになったのも、具体的にかたちになって、これで進んでいけそうというイメージが湧いたからでしょう。これまでは僕が考えているカリキュラムをどう実現するか、といった感じがありましたが、いまは自分たちが実現したいものが見えていて、僕が思い描いていたとことよりももっと先に行こうとしている。特に、2021年に入ってからそれを強く感じていて、そういう意味では今回の地図づくりのプロセスを通じて、ふたりは本当に学校づくりの当事者になったというか、オーナーになったんじゃないかな、と思っています(岩瀬)。